Created: Sunday, 06 May 2018 12:33 | Rate this article
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| Category: Journalism

マルクスを読もう! マルチェロ・ムスト×ウォーラーステイン

ここ30年、新自由主義政策とそのイデオロギーは、世界中でほとんど敵なしでした。しかし、2008年の経済危機や私たちの社会に存在する根深い格差、とりわけグローバルな南北格差、そして私たちの時代の劇的な環境問題によって、学者や経済アナリスト、政治家たちは、資本主義の未来とオルタナティヴの必要について議論を再開することを迫られるようになりました。

こうした文脈において、今日ほぼ世界中のすべてで、マルクス生誕200年の時期に「マルクス・リバイバル」が起こっています。それは、これまでマルクス・レーニン主義のドグマと誤って結びつけられ、またベルリンの壁崩壊の後に性急に退けられた著作家への回帰のことです。
 マルクスへの回帰は、いまだ資本主義の論理とダイナミズムを理解するのに不可欠です。彼の仕事は、資本主義を別の生産様式に置き換えようとするこれまでの社会経済的な試みが失敗したのはなぜかを問う、厳密な試験を与える非常に有用なツールでもあります。これらの失敗に対する説明は、私たちの現代的なオルタナティヴの探究にとって決定的に重要です。
 イマニュエル・ウォーラーステインは、現在イェール大学のシニア・リサーチ・スカラーであり、存命中の社会学者のなかで最も偉大で、マルクスの現代的関連について議論するのに最も適した学者です。彼は長い間マルクスを読んできており、彼の著作は1818年5月5日トリーア生まれのこの 革命家に影響を受けてきました。ウォーラーステインは30冊以上の本の著者であり、1971年から2011年の間に出版された四巻組の『近代世界システム』という非常に有名な本を含めて、それらは様々な言語に翻訳されています。

マルチェロ・ムスト(以下太字の文章はムスト):ウォーラーステイン教授、いわゆる「現存社会主義」の終わりから30年が経っても、カール・マルクスがいまだに現在を説明する能力をもっているという出版物や議論、カンファレンスは世界中に存在し続けています。これは驚くべきことなのでしょうか? それとも、マルクスの思想は資本主義のオルタナティヴを求める者たちに関連し続けるのだとお考えでしょうか?

イマニュエル・ウォーラーステイン(以下細字の文章はウォーラーステイン):マルクスについての古い物語にはこんなものがあります。マルクスを前方のドアから投げ出したら、彼は後ろの窓からこっそり入り込んでくる、と。それがいまいちど起こっているのです。マルクスが関連しているというのは、彼は私たちが扱わなければならない問題についてなお語るべきことをもっているからであり、また彼が述べたことは他の大半の著作家が資本主義について論じたこととは異なるからです。1989年に予言されたこととは違って、私だけでなく多くの評論家や学者たちは、マルクスが極めて有用であることに気づき、彼は今日新たに人気の局面を迎えています。

ベルリンの壁崩壊は、社会についてのマルクスの概念とはほとんど関係のないイデオロギーの鎖から彼を解放しました。それにソ連崩壊が続いたという政治的背景も、マルクスを国家装置の看板の役割から自由にするのに役立ちました。世界のマルクス解釈のどんなところが、注目を集め続けているのでしょうか?

 世界のマルクス解釈は一つの概念でいうならば、「階級闘争」だと考えられていると思います。私が現代的な問題の関心のなかでマルクスを読んだとき、私にとって階級闘争は、私がグローバルレフトと呼んでいる者たち——その日暮らしをしている世界人口の底辺80%を代表せんとする——の、人口の約1%を代表しているグローバルライトとの必要な闘争を意味するものでした。この闘争は他の19%にもわたります。彼らを味方につけるのは、敵に回すより簡単です。
 私たちは世界システムの構造的危機の時代を生きています。現存する資本主義システムは存続できませんが、誰もそれに代わる確かなものを知ることができません。私は二つの可能性があると確信しています。一つは、私が「ダボスの精神」と呼ぶものです。ダボスの世界経済フォーラムの目標は、資本主義の最悪の特徴、すなわち、社会ヒエラルキーや搾取、とりわけ富の二分化を維持するシステムを確立することです。オルタナティヴは、より民主主義的で平等主義的なシステムでなければなりません。階級闘争は、資本主義に代わるものの未来に影響を与える根本的な試みなのです。

 あなたの中産階級に対する考察からアントニオ・グラムシのヘゲモニー論を想起しましたが、大衆、つまりあなたのいう80%の人々を政治に参加するよう動機づける方法を理解することも重要だと思うのです。これは、いわゆるグローバルサウスという、世界人口の大多数が集中しており、過去数十年間に資本主義によって生み出された不平等の劇的な増大にもかかわらず、進歩的な運動が以前より弱体化してしまった地域でとりわけ喫緊の課題です。これらの地域においては、新自由主義グローバリゼーションへの反対はしばしば宗教原理主義や排外主義政党の支持へと水路づけられてきました。私たちは、ヨーロッパでもこうした現象が同様に浮上しているのをますます目撃するようになっています。
 お聞きしたいのは次のことです。マルクスは、私たちがこの新しいシナリオを理解するのに役立つのでしょうか? 近年出版された研究では、あなたの表現をお借りするならば、将来における「後方の窓」を開けるのに貢献するかもしれないようなマルクスの新しい解釈が提示されてきました。こうした研究が明らかにしたのは、マルクスは、彼の資本主義社会の矛盾についての考察を、資本と労働とのあいだの対立を超えて他の領域にまで拡張した著作家だということです。実際、マルクスは多くの時間を、非ヨーロッパ社会研究と、資本主義の勃興期における植民地主義の破壊的役割の研究に捧げています。一貫して、マルクスの社会主義の概念を生産力の発展と同一視するような解釈とは反対に、マルクスの著作においてはエコロジー的な関心が顕著に現れています。
 最後に、学者たちがマルクスについて語る際、しばしば無視してきたような数々のテーマについても、マルクスが広く関心を寄せていました。それらのテーマのなかには、テクノロジーのポテンシャルやナショナリズムへの批判、国家によって統制されることのない共同的な形態の所有の探究、そして現代社会における個人の自由の必要など、私たちの時代のあらゆる重要問題があります。しかし、これらのマルクスの新しい側面——それは、マルクスの思想への新たな関心が今後何年も続いていく現象だということを示唆しています——と並んで、あなたが今日再考する価値があると考えるマルクスの最もよく知られた三つの概念を提示することができるのでしょうか?

 まず第一に、マルクスは、資本主義は社会を組織する自然な方法ではないということを誰よりも見事に説明しました。彼がわずか29歳のときに出版した『哲学の貧困』において、彼はすでに資本主義的関係が「自然法であり、時代の影響から独立している」と論じているブルジョア経済学者を嘲笑しています。マルクスがいうには、彼らにとって、「歴史は、封建制の諸制度のうちに、ブルジョア社会の生産関係とは大きく異なる生産関係が発見されるときから存在する」のですが、彼らは自分たちが支持する生産様式には歴史を適用せず、資本主義を「自然的で永遠のもの」だと表現します。私の著作『 史的システムとしての資本主義 』では、曖昧で不明瞭な概念を採用してきた主流派の社会経済学者たちとは対照的に、資本主義は歴史的に発生してきたものだということを指摘しようと試みました。私が何度も論じたように、史的資本主義でない資本主義など存在しません。私にとっては自明なように、私たちもマルクスに多くを負っているのです。

第二に、私が強調したいのは、資本主義の勃興期に起こった、小作農を彼らの土地から引きはがすという意味での「本源的蓄積」概念の重要性です。マルクスは、それがブルジョアジーの支配を構成するにあたって鍵となる過程だったということを非常によく理解していました。それは資本主義の始まりに起こったことですが、今日でもいまだに存在しています。
 最後に、私は「私的所有と共産主義」という主題についてさらなる反省を促したいのです。ソ連、とりわけスターリンのもとで確立されたシステムにおいては、国家が資産を所有するが、それは人々が搾取され、抑圧されていないということを意味するわけではありませんでした。実際は搾取され、抑圧されていたのです。スターリンがそうしたように、一国での社会主義について議論することもまた、その時期以前には、マルクスを含め誰の脳裏にも浮かんだことはありませんでした。生産手段の公的な所有は一つの可能性にすぎません。生産手段はまた、共同的に所有することも可能です。しかし、もしより良い社会を打ち立てたいのならば、私たちは誰が剰余価値を生産し、誰が剰余価値を受けとっているのかを知らなければなりません。そうした社会は、資本主義とは異なり、全体的に再組織しなければなりません。これが、私にとって鍵となる問いです。

 2018年という年は、マルクス生誕200周年であり、新たな本や映画が彼の生涯にスポットライトを当てました。最近の彼の伝記のなかで、もっとも面白かったのはなんでしょうか?

 マルクスは大変困難な生涯を送ってきました。彼は自分の厳しい貧困とも闘ったし、彼が生き抜くのを支えてくれるフリードリッヒ・エンゲルスのような同志にも恵まれました。マルクスは楽な人生を感情的にも送ることはなかったですし、生涯の仕事だと考えたこと、すなわち資本主義がどのように運動しているかについて理解することをやり抜こうとする粘り強さは、目を見張るものがあります。これは彼の自己評どおりです。マルクスは、古代を説明しようとしたのでも、将来における社会主義がどのようなものになるかを定義しようとしたのでもありませんでした。これらは、彼が自分に課した仕事ではありません。彼は、彼の生きていた資本主義世界を理解しようとしたのです。

 マルクスは全生涯において、ロンドンの大英博物館で本に囲まれているだけのただの学者ではなく、常に闘志にあふれた革命的な学者であり、彼の時代の闘争に加わった学者でした。彼は活動のせいで、若い頃フランス、ベルギー、ドイツから追い出されています。彼はまた、1848年の革命が敗北したときに、イングランドに亡命することを余儀なくされました。彼は新聞と雑誌で労働運動を促進してきましたし、また常に彼のできるかぎりの方法で支援してきました。後に、1864年から1872年まで、彼は最初の労働者階級の国際的組織である国際労働者協会のリーダーになり、1871年には、歴史初の社会主義の実験であるパリ・コミューンを擁護しました。

 はい、その通りです。マルクスの闘志を思い起こすことは不可欠です。近年『 ワーカーズ・ユナイト 』であなたが光を当てたように、マルクスは簡単な意思伝達の方法もなかった時代に、物理的に遠く離れた人々の組織であったインターナショナルで並々ならぬ役割を果たしました。マルクスの政治的活動はジャーナリズムも含みます。彼は彼の人生の多くを通して、より多くの聴衆に伝える方法としてそれを用いました。彼はジャーナリストとして働いて収入を得ていましたが、彼は自分の寄稿を政治的な活動として見ています。彼は中立であるつもりはまるでありませんでした。彼は常にコミットしたジャーナリストだったのです。

2017年、ロシア革命100年記念のときに何人かの学者たちは、マルクスと20世紀に権力を握ったその自称追従者とのあいだの対比に戻りました。マルクスと彼らとのあいだの主な違いとはなんでしょうか?

 マルクスの著作は問題を解明するものであって、彼の思想を単純化した解釈よりも大いに複雑で、多彩です。マルクスの言った、有名な警句を思い出すことは相変わらず有効でしょう。「もしこれがマルクス主義であるならば、私がマルクス主義者でないことは確かだ」。マルクスは、常に世界の現実を扱うつもりでいたのであって、自分たちの考えをドグマ的に押しつける者たちとは違いました。マルクスはしばしば彼の思考を変えました。彼は常に、世界が直面していると考えた問題を解決するために探究していたのです。これこそ、マルクスがいまだに大いに役立ち、有用な指針である理由なのです。

 最後に、まだマルクスに触れていない若い世代に言いたいことはなんでしょうか?

 私が若者に言わなければならないことは、第一に、マルクスを読まなければならないということです。彼についての本を読むな、マルクスを読みなさい。彼について議論する多くの者たちがいるのに対して、ほとんどの人は実際にはマルクスを読んでいません。それはまたアダム・スミスについても当てはまります。一般には、これらの古典についての本を読むだけなのです。人々は、他人の要約を通して彼らの理論を学んでいるのです。彼らは時間を節約したいといいますが、実際のところ、それは時間の無駄なのです! 興味深い人々の本は読んでみなければなりませんし、マルクスは19世紀と20世紀の学者のなかで最も興味深い学者です。それについて異論はないでしょう。彼が扱った物事の数の点からしても、分析の質にしても、誰も彼に並ぶものはいません。だから、私から新世代に送るメッセージは、マルクスは飛び抜けて知る価値があるということなのですが、マルクスを読んで、読んで読みまくらなければなりません。カール・マルクスを読もう!