本 書 は 国 際 労 働 者 協 会(International Workingmen’s Association: IWMA) 創 立 150 年を記念して 2014 年に刊行された一般向け 文書集(Marcello Musto ed., Workers Unite!: The International 150 Years Later. London, New York: Bloomsbury)の邦訳である。出版 を廻る状況が 100 年記念時より悪化する中,研究者のそう多くない IWMA の,それも一
般向け文書集の邦訳は,類書が得難く,意義深い。
献辞,目次,凡例,エピグラフ,日本語版への序文,はしがき,序論,国際労働者協会(―宣言,決議,発言,文書),付録 インターナショナル(歌詞),監訳者あとがき参照文献(目録),索引,収録文書一覧から
成る。
収録文書は 80 点,内 32 点のマルクス,エンゲルス文書(邦訳頁で約 45%)以外は初邦訳と思われ[底本では 33 点が初英訳(xxiv)],訳者たちの貢献は大きい。第1部 創 立 宣言[1], 第 2 部 政 治 綱 領 [2, 3], 第 3 部 労 働[4–11], 第 4 部 労 働 組 合とストライキ[12–22],第 5 部 協同組合運動と信用[23–28],第 6 部 相続につい て[29–31],第 7 部 集団的所有と国家[32–42],第 8 部 教育[43–45],第 9 部 パリ・コミューン[46],第 10 部 国際主義と反戦[47–57],第 11 部 アイルランド問題[58–60], 第 12 部 ア メ リ カ に 関 し て[61–64],第 13 部 政治組織[65–80]の各部に時系列で配されている([ ]内は文書番号。文書は 1-1 と部 – 番号で示す)。収録には何倍もの文書の採否の検討と編集作業が不可欠で,その労を多とする。
日本語版への序文で編著者は本邦初の資料集であり,ねらいは新世代の日本の読者に,IWMA の 歴 史, 主 な 思 想, 業 績 を より完全な形で理解する新たな方法を提供する(xvii)と述べる。その方法とは監訳者あとがきが挙げる,①マルクスと IWMA の関係を一次資料に基づいて再構成する,②IWMA の全容を,マルクスだけでない様々な人物や団体の観点から多角的に明らかにすしさ」が証明されていく過程と見るのではな
く,論争の過程や国際的な労働運動の展開に即して見る(412–13)の 3 点であって,初る,③ IWMA での議論を,マルクスの「正邦訳の諸文書によって概ね実現されている。
序論は編著者による IWMA の解説であり,1)始まりの段階,2)うってつけの人材,3)協会員と組織の構造,4)インターナショナルの形成,5)勢力の拡大,6)相互主義者の敗北,7)ヨーロッパ全土への拡大と普仏戦争への反対,8)インターナショナルとパリ・コミューン,9)1871 年のロンドン協議会,10)インターナショナルの危機,11)マルクス対バクーニン,12)マルクス以降―「中央集権主義者」と「自治主義者」のインターナショナル,13)新しいインターナショナル,以上の 13 項に付録 国際労働者協会―年表と協会員数が続く。項立てと分量配分は適切で,上記の新たな方法,特に③との関わりで 12)及び付録の立項と内容に新味がある
序論中,2)は「マルクスの偉大な業績」(6)の記述であり,妥当な評価であろう。
とはいえ,創設の機縁となった集会で,マルクスは「「壇上のだんまり役として」列席しただけ」(7)とあるが,集会でのドイツ人労働者の演説者にエッカリウスを推薦し「1864 年 11 月 4 日付エンゲルス宛マルクス書簡」),演説内容も前夜に協議したとするのが通説(『第一インタナショナル史』刀江書院,1967 年,第 1 部第 1 巻[同書院編集部訳]54)で,かかるマルクス派内での役割分担をイギリス選挙法改正やアイルランド問題等でも示せば,より一般読者の興味を引き,理解も深まったであろう。
編著者は旧ソ連の研究に批判的である(8)。しかし,И. А Bах, И. Н. Толмач B. E. Кунина ред., Первый Интернационал, часть 1/2, Москва 1964/65 は上記邦訳が出るほど標準的であったし,資料収集と厖大な蓄積等でも侮り難いと看做されてきたと評者は見ていただけに,Marx-Engels-Jahrbuch各号の旧ソ連研究者の関連論文とも参照文献に欠くのは意外であった。
典拠でも,上記通説の論拠「1864 年 9 月26 日付マルクス宛エッカリウス書簡」所収 巻(Marx Engels Gesamtausgabe: MEGA2, III/12)同様,I/20-22 他で豊富化した新資料の利用がないのが残念である。例えば,4)インターナショナルの形成中,総評議会でのマルクスの講演『賃金,価格および利潤』を引用している(22)が,底本は,4-12[労働組合による闘争の必要 性と限界]同様,末娘エレナ編の 1898 年刊『価値,価格,利潤』で あ る。 だ が 講 演 原稿 はMEGA2, II/4.1 とI/20 に 2 度も収録され,これが最善の典拠である。(MEGA2 関係は邦訳で補足してもよかったろう。その際,表題中の「賃金」をエレナに倣い「価値」とするのみならず,「価格」か「物価」かの邦訳上の争点をも検討して欲しかった。)
マルクスの著作が IWMA に与えた影響も述べる必要 があった。特に『資本論』と『フランスにおける内乱』(『内乱』)で,前者の出版がローザンヌ大会後となった点はその普及史で必須である。後者が総評議会で「読まれると,満場一致で採択され,全評議員名で公刊されることになった」(47)としているが,当日は相変わらずオジャーやアップルガースが欠席で,『内乱』への連署が論議された 1871 年 6 月 20 日の会議では署名が拒否され,後者は IWMA との関係を絶つと述べ,両人とも退室したこと(The General Council of the First International 1870–1871 Minutes: GC, IV, 217–18)を記し 51 頁の『内乱』の箇所に続ければ,彼らが「敵対的な報道キャンペーンの圧力に屈し」た(51)だけでなく,イギリス労働組合の改良主義的性格を示す好例ともなし得たであろう。
共産主義者同盟から続く視点があれば,3)協会員と組織の構造中の,構成員に資本主義本来の賃金労働者が少なかった点(12)は,同盟も同様で,「自身の先行きを本能的に予見」した手工業職人が多数だったし(Marx Engels Werke: MEW, Bd.8, 581),10)のIWMA の「終幕」(70–71)も,分裂に陥った 1850 年 9 月 15 日の同盟中央指導部会議でケルンへの指導部移転を提案したのと全く同じ措置であった,と示せた。
9)1871 年のロンドン協議会の「最も重な決定は……ヴァイヤンの第 9 決議(組織の集権化等)の承認」(55)としている。直の自治主義者との分裂があるからだが,労農同盟を述べた第 8 決議も非常に重 で,一言欲しかった。
11)マルクス対バクーニンの項末で,編著者はバクーニン『鞭のドイツ帝国と社会革命』から「革命後の官僚制が退廃する危険性」の予見とみる引用を行い,「彼の批判的な洞察は 20 世紀のドラマのいくつかを先取りしている」と述べている(84)が,評者にはむしろ,彼のみならず,レーニンも目前にしていたツァーリの国家が透けて見えるようであった。
収録文書では,資料間の連繋が不十分な場合がある。1868 年のブリュッセル大会の労働時間短縮問題委員会報告 3-10[労働時間の短縮のために]では,※ 15 中に,2-2[ジュネーヴ大会(1866 年)の決議]で「労働日の制限」が採択済みなので,今回は委員会がそれに実践的な効果を与えようとしたことを明記し,両資料の関係を示すとよかった。ましてや編著者は「自由時間(disposable time)」論初出の『経済学批判要 綱』の研究書を有し,この視点から未来社会を具体的に展望すれば極めて有益であったろう。
各文書は,短縮のためか概要 の抜粋が多く,文書の文脈が不明だと理解困難なことがある。7-34[土地所有について](242)は抜粋 5 行だけ。※ 43 の注 3 行のみでは不十分で,MEW, Bd.16, 558–59 等の追記が必要だった。
文 書 の 採 否 で は, 例 え ば 4-13[ ス ト 破りに抗して]よりも同じマルクスに発するジュネーヴ大会採択の決議 2「労資の闘争における協会の仲介による国際協力」(GC [184-1866, I, 341)が優ったか。
翻訳についは,マルクス,エンゲルス文書の既訳が同じ版元の『全集』にある。用いなかった事情が示されるとよかった。これと関連して,例えば 7-38[バクーニンの政策に 対する批判]253 頁 17 行目からの段落などは既訳と対照すればより適切な訳文となったであろう(※ 47 の 6 行目の本文書収録書表題冒頭の「国際」は収録書・底本にはない。
編著者は著者にラファルグも加えるが協力者であろう)。
2-3[ブリュッセル大会(1868 年)の決議]の筆者がカール・マルクスとある([iv],127)が,底本は Various Authors である。審議経過からみて「資本家の手中にある機械の結果」,「労働時間の縮減」項以外はマルクスではなかろう。
biweekly を,『フォルクスシュタート』掲載文書 4-22 と 10-57 の※ 30 と※ 82 で「隔週紙」(202, 338)としている。同紙は 1869年 10 月 2 日創刊,当初週 2 回刊,1873 年7 月から週 3 回刊となる(『全集』33 巻文献目録 57)。熟れぬ表現だが前者は「週 3 回刊紙」,後者は「週 2 回刊紙」が適切である。編著者が twice a week 等と書かぬためだが,『ビーハイブ』紙を編著者が「序論」でbiweekly(1), ※ 57 で weekly(285) と するも,訳者が前者を「週刊紙」と匡している。編著者は同紙を引用するが(2),『フォルクスシュタート』同様直接当たらず,リャザーノフから孫引きした(4, ※ 1, 2)ためであろう。
「「市民戦争」として扱う」(34)は底本 “treat…’as a civil war'”なので,引用符を生かし,『内乱』に合わせ,「「内乱として」扱う」とした方がよい。
付録はポティエの仏語歌詞全文を「原文の意味通りに伝える」初めての邦訳(410)である。各国で「インターナショナル」の普及史研究が進む中,大変貴重 な試みである。
好著であり,一読をお勧めする。
(橋本直樹:鹿児島大学名誉教授)